津波による被害の大きさは大小違うにしても東北地方・太平洋岸に大きな影を落としました。今から紹介する場所は海岸沿いであり、かつ、原子力発電所から1km以内といった災害時は非常にリスクを伴う場所です。しかしながら普段は原子力発電所の排出する熱(冷却に海水を用いており、熱交換後の海水は温度が上昇するため、周辺海域の温度が上昇します)により魚の育成には適した場所の様であり、色々な育成を試みているようです。(詳しくは前の記事をご覧下さい)
●東京電力PR資料より (財)福島県栽培漁業協会
全体はこの様な構成となってます
造船ドックと思った大きな施設はヒラメ育成施設である
このパンフレットを見るまでは正直、この場所がどんな場所だったかわかりませんでした。これからお見せする写真はこの場所を写したものです。津波の恐ろしさ、そしてそれは民家以外にも多くの商用施設を破壊し、機能を完全に奪ってしまったのです。
(財)福島県栽培漁業協会の位置図
(C)2011 google/ZENRIN
ここへは上記地図を見てわかる通り、本来であれば福島第一原子力発電所の先に紹介したサービスホールの横の道、展望台へ行く時に使う道が海岸沿いに続いてます。今回の津波で完全に道は遮断され、車で行くことができません。我々は西側の民家寄りから向かったわけですが橋が落ちてしまいこちらも遮断されてしまってました。そこで車を手前で停め、歩いて現場を確認することにしたのです。
ここで驚いたのは線量が高いということ。水素爆発による粉塵に付着した放射性物質が多く地表に落ち、今も蓄積しているものと考えられます。民家は何軒かあるものの、当然住める状態ではありません。またこの様な線量であるなら、他のエリア以上に住むことはできないと思います。それだけ他に比べて高いのです。
津波に被災した建物
この場で測定した線量計は・・・×100にて振り切ってしまった。
100μSv/hを超えてしまっている
そこでもう一台のサーベイメーターを持ち出すこととした。
300μSv/hモードですので約100μSv/hである
この様に高レベルな状態(短時間であれば少々レベルが高いと言えるが、生活をすることとなれば10時間その場に居るだけで1mSv/hとなり、日本人が1年間で浴びる放射線量となることから生活はできないということがおわかり頂けるだろうか?
警視庁長官がここより3.5km南側で視察を行っているが、マスメディアの放送内で1μSv/hという話であった。長官が行くわけであるから嘘はないだろう。となるとやはり風向きと強さでこの地に多くが落下してきたのではないだろうか。
橋がない。構造的には元々なかったと思うのだが
線量計が大きく振る場所だが、とりあえず海側へと歩いて行ったところ橋がない。ここは将来橋を架ける予定だったのか、それとも今回の震災、津波で落ちてしまったのか、google earthで調べてみました。次は2004年のものです。そこには驚愕の事実が・・・
2004年11月21日 (C)2011 google 福島県栽培漁業協会
そして今が・・・・
橋が落ち、ヒラメ栽培施設はガラスが割れ・・
この違いをこれから写真ではあるが目の当たりにすることになる。
栽培漁業協会の前を通る公道(南側を撮影)
栽培漁業協会側(北側)を撮影。人影が見える。
先の道から渡るには木々が倒れたところをかいくぐって行かねばならない。枝にひっかけて防護服が破けてしまう危険性がある。我々は二人で枝を踏みつけ、安全を確保しながら倒木をくぐり抜けて行った。そして公道に出たところで上記の二枚を撮影した。海岸沿いを抜ける道は本来、幹線道路を離れ抜け道として活用することができそうだった。ビデオニュース・ドットコムの神保氏取材の場所はここより500m~1,2km南側へ行ったところと推察できる。
栽培漁業協会側を見ると防護福姿の人が数人動いているのがわかった。”東京電力?”と思っていたのだが、近づいてきたので挨拶したところ、”福島県警”の方々であった。一人は背中にデジタル無線機を担ぎ、そして撮影用の望遠レンズ付き一眼レフ、建物の被災状況の確認とお亡くなりになった方々がいるかどうかの確認に訪れのではないかと思う。この場所で50μSv/hであり、100m移動しただけでも線量が半分に変化している。この様に場所、場所で数値が異なることから、”安心な数値”という場所も少し移動すれば危険な場所になり得ることがわかると思う。
資料からするとヒラメ養殖などのプールがあった様だ
造船ドックと思っていた建物が実はヒラメなどのプールがあったというのは今回のblog記事を書く際に調べて知ったわけだが、現場を見てそれが連想できる様なものは一つもなかった。建物の構造物は壊れ、まるで長年放置された建物の様に見える。先の2004年の写真やパンフレットを見る限り、1ヶ月前までは稚魚が元気に泳ぎ、温度管理やエサなどをあげたりと、作業員が慌ただしく働く場であったのは間違いない。それがあの11日の一瞬の出来事で全てが流されてしまったのである。海抜としては数mであろう。南相馬などより潮位は低かったと思うが、それでも全てを流すには十分過ぎるものであり、原発以外はこの様な大型地震の対策がなされていない(過剰投資となり、当然普通に考えて無理だろう)場所が殆どであるのがわかるだろう。
(財)福島県栽培漁業協会 4/21撮影
この建物の入口にあったはずの・・・・・
道路の反対側に流れ着いていた
中に入ってみることにした。そこで見かけたものは室外機が流され、冷媒配管のキャンバステープが剥がれた、被服付き冷媒管。(仕事柄目につく)状況、育成プール類の存在があったであろう痕跡、配管は折れ、建物以外は流されてしまったあまりにも無残な建物と呼べない残骸。木造であったら跡形もなかったと思う。
無残に破壊された協会建物 4/21撮影
施設見学の説明書き
栽培漁業協会の事務所だと思う
敷地内の他の建物
トイレがあった痕跡のみ残る
協会から北側 原発側にある大熊町水産振興公社?
パンフレットやHPからどの様なことを営んでいたかを書き出したつもりだが、実際にはどうだったかは関係者や地元の方でなければわからない。内容が異なる場合は事情が事情だけにご容赦頂きたい。
さて栽培漁業協会を一回りし、長時間居座ることは多くの放射線を浴びることとなるため我々も次の目的地(さらに南側)へ向かうこととした。帰る途中、橋の反対側に二人の防護服姿の人を確認。福島県警の人がまだ居るの?と思ったがどうも違ったようだ。後で話をしてみたらジャーナリストの人達であった。そして話の内容と体型からして・・テレビ朝日に登場した人ではないかと推察する。現地20km以内はテレビ局の自主規制ということもあったらしく、我々の様なフリーの人間以外は取材は行っていなかったと考えられる。高レベルな場所は知識と判断が必要だが、どう考えてもテレビ局のスタッフにそれを求めるのは無理だろう。
撮影に来ていたジャーナリストの方々
以上で(財)福島県栽培漁業協会周辺の調査報告を終わります。空間線量が50~100μSv/hと高く、通常の生活をすることは不可能である。建物も損壊著しく、再建は空間線量が下がり、地上をある程度取り除き、そして原子力発電所が安定するまでは再開どころか手をつけることは不可能だと思う。
残念ながらこれが現状なのだ・・
(C)2011 NICO PARU TV 掲載している写真等は許可なく二次利用はご遠慮下さい
※NICO PARU TVは個人的にニコニコ生放送、Ustream、Justine TVなどで放送をする際の名称です。
最近のコメント