はじめに
最近心配に思う事があります。それは多くの皆さんが既に2ヶ月半前にあったあの事故の事を殆ど語らなくなったという点です。情報が出尽くした感があり、一般的にはこれ以上”何を語るの?”とお思いになると思いますが、現時点で”現在進行形”である事を忘れてはダメです。現在も更なる事故拡大の可能性があり、毎日放射性物質は空気中をさまよい、そして風下方向へと流れてます。多くの放射性物質は既に沈着しており、植物が取り込みつつこれから長い間、その場所に留まって放射線を出し続けるのです。
地震が毎日のように起こると我々の身体や感覚は麻痺しました。これと同じく、放射(能・線・性物質)という単語は日常的なものとなり、多くの人の心の中から薄れてしまっているのが現状です。今一度その危険性を思い起こし、将来に渡って我々の子供達が受ける可能性のある影響を常に頭の片隅に入れておいて下さい。
■いざ!福島県・・へ
実は今回の飯舘村への訪問は行動的に言えば2度目となります。5月4日に福島市から南相馬市へと車を走らせる途中、飯舘村を通過、帰りにサンプリングをしました。そして5月15日、二度目の訪問となったわけです。最初の訪問以降、Twitterで”飯舘村の方へのご協力を求める”ようなツイートに対し、現地にお住まいの方(今も住まわれてます)よりご連絡を頂きました。”我が家の畑から土をサンプリングしてもいいですよ”と・・・土地が放置されようとも所有者に黙って持ち帰るのは問題ですし、現地の方のご苦労を考えれば直接家に訪問して呼び鈴を鳴らしてお願いをするのも気が引けてました。
お申し出を頂きながら300kmほど離れている地からの訪問は予定との相談となります。それが偶然?にも前日の14日、郡山市でラーメンを食べ損ね、諦めて帰ろうと思った矢先の出来事です。メールがアイフォーン(どこぞの新聞風に)に届きました。飯舘村にお住まいのSさんからのメールでした。
■飯舘村へと行くことにする
連絡が取れた以上気合いを入れ直し、4号線を北上したわけです。途中、前の記事の通りラーメンを食べました。これで当初の目的が一つ達せられたと・・・自分を言い聞かせ、もしかしたら福島第一原子力発電所周辺調査(4月21日)同様、時期的に最後の訪問になってしまうかも知れないという不安を抱きながら車を走らせます。
意外と量が多かった・・キムチ食い放題・・美味かった
川俣町の道の駅駐車場へと入るとそこには車がかなり停まってました。しかし変です。人影がない・・車の中に人がいない車が殆どなのです。考えてみたら飯舘村などから避難した人達、車を避難先に全部持って行けなかったりしますよね。そうなるといつ、警戒区域にされても大丈夫な様に持ち出してあるのでは?と推測してみたのですが・・・実際はどうなのでしょう。朝起きたら数台居なくなってましたので全部ではなかった様ですが。(一応ナンバーチェックしたら全部福島のナンバーでした)
■朝だ!いざ!飯舘村へ・・・GO
とタイトルを書いてみましたが実は、私は朝がめちゃくちゃ弱いのです。仕事は真夏などは夜中~朝方まで仕事をするのは当たり前ですし、日中もお昼頃からでないと活動しません。ですから朝からの仕事はあまり好きではないのです。なにしろ前日から時間調整(目覚ましなしでほとんど6時間で目覚めます)しなければならないからです。でも、農業を営んでいる方々は・・・私と生活が逆なのです。
眠い目をこすりながらとりあえずジュース販売機で朝のコーヒーを買い、国道399号線を飯舘村へと車を走らせます。すでに見慣れた光景として、自衛隊の災害派遣の旗を取り付けた車両が行き交います。表にはなかなか出てこないのですが、当たり前の様に毎日毎日、自衛隊、民間、その他の業者の車両が行き来してます。ですから”立ち入り禁止”にはできない道路なのです。よって、計画的避難は可能でもそれ以上は検問の手間が結構かかると思います。
空間線量は低く、0.5μSv/h前後となってます
上がり坂が結構きつい道路です。山を越えて少し開けたと思ったら”飯舘村”の看板が小さく見えます。
川俣町と飯舘村の境目。ここが運命の分岐点となる
映像をキャプチャーするべく動画を見ていて思ったのが、本当にこの飯舘村の看板が分岐点であるということ。ここを過ぎ、100mほと進んだところの映像を見ると、すでに空間線量が1μSv/h近くまで上がってます。もっとも山越え→飯舘村ですから当然と言えば当然なのですが。
二枚橋という郵便局(福島県相馬郡飯舘村二枚橋字本町265−1)を過ぎた頃からでしょうか。空間線量が上がり始めます。GM計数管のガイガーカウンターたちも賑やかにブザーが細かく奏で始めたのです。つまり、確実に線量が高くなっているということです。川俣町との境目から1500~2000m程度の距離なのです。針は2μSv/hへと近づきます。
空間線量が1→2μSv/h へと上昇し始めている
このあたりは民家も少なく、殆どが畑のようです。またすれ違う車はどれもマスクすらしていません。現地ではかなり”慣れ”てしまっている感がします。この2μSv/h区間がしばらく続きます。とりあえず目的地として定めたのはセブンイレブンです。前回の訪問時は3μSv/hでした。
目的地まで5km程度手前でしょうか?県民の森(キャプ場があるそうです)への入口付近にさしかかりました。実はその手前付近からなのですが、すでに空間線量が3μSv/h程度まで上昇してます。距離的には数km単位で上昇するというい点、如何に放射性物質の拡散があったかがおわかりになると思います。
空間線量が2→3μSv/hへと上昇してます
もちろん空間線量は変化します。アナログの針を見ているとフラフラっとしてますが、2μSv/hを割り込むことはなくなりました。眼前には畑が広がってます。本来であればこのあたりは農作物があふれんばかりで緑青々とした野菜を見ることができたのでしょう。このあたりは県道12号線となります。ニュートラックいいたての看板で国道399号線から県道12号線に入ったみたいです。
県道12号線沿いの眼前に広がる畑
上記写真を見てわかる通り、東側の山々からは海風が流れ込んでくる地形となっているようです。このことと当日、雪が降っていたという気象条件が重なり、飯舘村も高濃度な汚染を強いられてしまったと思います。もし、雪が降っていなかったら・・確実に放射性物質は福島県全域へと広がっていたとお思います。会津方面も逃れられなかったのではないでしょうか?(全ては風次第ではありますが)
・・ここでS氏からのモーニングコールです。
さて続きはS氏のご自宅へと訪問させて頂くところから始まります。本当にのどかなところで空気が美味しい・・そう空気の味が都会からくるとわかるほど、自然が多いのです。
ここで先に一言申し上げます。福島第一原子力発電所の爆発事故があった際、S氏曰く「肌がぴりぴりした」、「なんか鉄のような味がした」というのです。
もしこの記事をご覧になられた方でその様に感じた方がいらっしゃるのであれば是非、何日の何時頃だったか?アバウトで構わないのでコメントなりツイートなりして頂けませんでしょうか?結構重要なことなのです。そう、すでにその場で被曝した可能性が高いのです。今更と言われればその通りなのですが・・
そしてその時、子供たちを外で遊ばせていたお父さん、お母さん(平日だからお母さんが多いかな?)。真面目に言います。子供たちの定期検診はお忘れなく。特に甲状腺に関しては検査が必要だと思います。これは爆発当初の放射性物質には多くの放射性ヨウ素(特にヨウ素131)が含まれ、子供たちが呼吸などを通じ、吸収してしまった可能性があります。その後、排泄されればそれでよいのですが、かりに吸収されたとすれば問題となるのは”甲状腺の異常”となります。このあたりは多くの文献で見ることができます。また、専門の方々のコメントでも多くその点が指摘されているので目にしたことがあるでしょう。
本来であれば原子力事故に備えてヨウ素剤(ヨウ化カリウム)を村や福島市で備えてあって事態の重要性に気づいていればよかったのですが・・・残念ながら国からの情報伝達が遅すぎましたね。”直ちには健康被害は・・”そうです、急性被曝ではないので”直ちには”影響はないのです。もっとも福一で作業されている方々は今後、放射線管理下であってもすでにあり得ない量の被曝をしているわけで、いつ体調不良を訴えてもおかしくはないのですが。
おっと脱線しました・・以上で飯舘村へ その1を終わりとします。
これからが飯舘村の現状です。知れば知るほど、見れば見るほど・・・ここはのどかな農村?日本?皆本当に大丈夫?
つづく
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※NICO PARU TVは個人的にニコニコ生放送、Ustream、Justine TVなどで放送をする際の名称です。
楽しみにしていました
これからが修羅場ですね
何部構成なのでしょうか?
投稿情報: JN7TRM | 2011/05/26 19:41