本blog掲載内容は”警戒区域”として設定された4月22日の直前、21日の状況です。
元々水面下で取材準備を進めてきたのですが、”計画区域”という発表が枝野官房長官より発せられ、25日(月)あたりが濃厚?と思っていたこと。仕事の都合もあり、同行者との話し合いにより週末前(週末は高速道路も渋滞する可能性と色々な車が増えてくるだろうという点を考慮)に行く事になりました。
行くまでの約1ヶ月に近い期間中、NPOの方々からの情報収集、機材の準備、家族への理解を求める説明、通常業務などを含め刻々と変化する現地の状況を把握する事に努めた次第です。
見えない放射線とどう向き合うか。元々放射線を浴びる可能性がある仕事をしていたと言えど、放射線量は一般的な作業で浴びる量の比ではありません。同乗者を含め個人被曝計での線量管理、そして現地状態の線量測定、動物達への食料や水分補給。どれもこれもが現地へ行ってみなければわからない事ばかりです。(マスメディアからの発表は殆ど東京電力や国などの発表資料です)
この様な状況下、できる限り現状を撮影したつもりです。
動画などについては現在、編集作業をご相談させて頂いております。よって時間を見つけて更新を行う内容は静止画及びビデオのキャプチャー画像となります。少しでも多くの方に現状を見て頂き、事故後の対策(現在進行形)が何故必要なのか等々、今一度見直してみるきっかけになればと思っております。
全国各地に存在する”原子力と共に歩む町”の一つとして最初に寄ったのは”双葉町”というところです。この双葉町は6号線という幹線道路を走っている限りは極端に栄えてはいないものの、飲食、携帯、衣料品などを含め、我々の生活範囲にも普通に存在するお店が並んでいます。そして驚く事に普通に車を走らせている限り、”原子力発電所”があることすら忘れてしまう街作りなのです。(風景的にそれを感じさせません)
ニコニコ動画の”【警戒区域】福島第1原発20km圏内→2km (北側から)【車載】”という動画に出てくる”双葉駅”というところに寄ってみました。
福島県双葉町 双葉駅へ続く道 (2011.04.21撮影)
上記写真は6号線より駅と向かう途中にある看板です。”原子力明るい未来のエネルギー”確かにクリーンであり、未来のエネルギーだったと思います。ただそれは完全に制御され、今回の様な事故が起こらなければということでリスクは常にあったのは言うまでもありません。
双葉町の生活の足となる”双葉駅”(2011.04.21撮影)
無人の駅には(動物愛護団体の方々だと思いますが)エサや水を置いてありました。そしてそこには鳥がエサをついばむ姿が見られます。残念ながら他の動物たちとは遭遇しませんでした。話によれば愛護団体の方々の保護活動が入れなくなる22日の前に活発化しており、多くの動物たちが無事にこの地を脱したとの話も聞きます。
当日は夜遅くまで活動されていたとのコメントも頂きましたが我々とは一度も会う事はありませんでした。それだけ広大な土地が無人の街と化してしまったということです。
よく考えて下さい。皆さんが普段何気なく買い物に行って人や車が”うざい”と感じる瞬間。そこから自分以外、誰も居なくなった時の事を・・・建物は地震でも倒れない。確かに道は多少亀裂はある。電柱も斜めになっている。でも、人が誰一人いない。映画でのワンシーンと思っていた事がまさに、今ここで起こっているのです。
6号線沿いの双葉駅へ向かうところで発見(2011.04.21撮影)
双葉駅を離れ、線路際を走ると残念ながら道が寸断されてました。大きな亀裂と段差、オフロードカーでなければ少々危険な場所です。そこで我々は双葉駅より東側、つまりは海岸方面へ向かう事にしました。その途中、元気なわんちゃんを発見。このわんちゃんは先にご紹介した動画中に出てくるのと同一だと思います。そして主を待ち続けているのでしょう。おそらく、住処も双葉駅周辺なのだと思います。動画撮影から一週間、エサと水は確かにありますが我々のエサにも口をつけませんでした。お腹一杯ならよいのですが・・
6号線を横断し(信号は当然消灯してます)、我々は津波の被害のあった海岸方面の地域へと車を走らせます。そこに見えるのは広大な土地、本来はこれから色々と作付けしたりするであろう畑が辺り一面に広がります。
双葉駅より東側の海岸より1km程度手前付近
畑は塩を被り、そして一部建物は損壊し、それでもこの地区は多くの建物が残ってます。マスコミが報道する南相馬などの悲惨な状況に比べ、元々畑が多かったであろうこの地域の被害は見た目は少ない様です。ただ、福島県で被災されお亡くなりになられた方々の数を見れば、この地区でも当然災害犠牲者は0ではなかったはずです。(浪江町の海側は港もあり被害が大きかったと聞きます)
福島第一原子力発電所からも数キロ程度しか離れない地域という事もあり、海沿いには海水浴場や公園などといった自然を活かした施設が多く、福島第一原子力発電所の北側地域は津波による被害は少ない様でした。ご存じの通り、その南側は多くの方が亡くなっています。
津波により行方不明になられた方々を捜索してます
写真をクリックすれば大きな写真になります。実は我々が福島へ入る前、色々な人から”原発周辺は放射線レベルが高くて今でもご遺体の回収すらできない、捜索もできない”という話を聞きました。しかし現実は捜索は続けられてました。もちろんマスメディアの発表を総合すればここ1週間の様です。それでも多少なりとも線量は高く、被曝の危険性があっても警察、消防の方々の捜索は続いてます。
ここで思いました。国はもう少しこの様な現場の苦労を国民の知らせるべきだと。偏った情報により偏った意見しか出てこない。これは我々がユーザー生放送を行っていていつも感じる事です。偏った情報だけを信じ、ポジティブな意見が出てこない。これは情報を出す側の責任である事を痛感して欲しい。
警察庁安藤長官が4/25に福島第一原子力発電所南側4.5kmに訪れた際、やっとマスコミが広報的映像をニュースで流しました。長官が行くからではない!現場の警察や消防からの資料を公開すべきだった。この日は記者によれば1μSv/h。それほど高くない・・その3km以上北上すれば・・そこは50μSv/h~100μSv/hである事実。国は知っていても報道はできない。それだけに活動している方々の頑張りを見せるべきでした。
以下はその時のニュースです。
【原発】警察庁長官が4.5キロ付近の捜索視察(11/04/25)
上記動画を見る限り、福島第一原子力発電所周辺は民家が少ない事がわかります。元々農地をお持ちの方々が自宅を構え、そして日々の生活を続けられていらっしゃった様ですが(実際、第一原発周辺の道沿いには家も畑もあります。敷地境界線であるフェンスの手前が道、そしてその方々のご自宅ですから、原発数十m以内と言ったところでしょうか・・建屋からは多少距離はありますが、放射性物質が出た場合、その距離は誤差にしかなりません)
海岸へと続く道であったはずの農道?が完全に遮断され、車で先に進む事ができなくなり、別の道を探しました。そこでは地震で崩れてしまった小屋と思われる建物があったり、寸断された道の向こうには乗用車やトラックが斜めになって放置状態でした。
建物の損壊状況を見ると津波で多少浮いてしまった程度ではないかと思うのですが・・・
双葉町の真西より少し北側の地区(津波被害)
地震で壊れてしまった小屋(双葉町海岸方面の途中)
ここまでとします・・
(C)2011 NICO PARU TV 掲載している写真等は許可なく二次利用はご遠慮下さい
※NICO PARU TVは個人的にニコニコ生放送、Ustream、Justine TVなどで放送をする際の名称です。
最近のコメント